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【筋肉を読む】
筋肉を読む
その実践的体験論
公益社団法人 千葉県柔道整復師会
北総支部 飯嶋 嘉孝
【 はじめに 】
徒手診療術の、按摩術、指圧術、鍼術、灸術などは、東洋医学の考え方を基本として診療が行われている。そして、東洋医学思想を離れて考えられない事も事実である。徒手診療のいろいろな書物を見ても、経穴、経絡は、診療上、もっとも有効に働くものと捉えている。しかし、私が学んだ当時の柔道整復師養成校のカリキュラムでは、西洋医学のみの考え方で教育され、東洋医学的な科目の教育は行われてはいなかった。徒手診療術を行うに当たっては、一応、東洋医学の考え方も心得ておかねばならないのではないかと考える。
整骨院で助手として臨床的柔道整復学を学び養成校へ通い、その間に東洋医学的考え方が、怪我や運動機能に支障を来たす傷病疾患の回復には必要不可欠な存在ではないかと考え、東洋医学書を読み、東洋医学理論、陰陽五行説、経穴学、経絡治療学など、解らないながらも必死に取り組んだ。東洋医学は、西洋医学的思考では全く理解できない論理で、最初は戸惑いを感じながらそれでもひたすらその論法を信じ、結果的に東洋思想を背景にいろいろな東洋医学医療の体験的学問の集大成である事が理解できたのである。しかし、筋肉そのものの臨床的捉え方や、機能的変化、筋損傷という考え方については何も触れていない様で、東洋医学の中にも筋肉の臨床的考え方はないという事を知り、日本の古武術の怪我という捉え方の独自性には改めて敬服したのである。
これらの経緯を踏まえ、実際診療では筋肉に対する考え方や臨床的評価、損傷と筋肉との因果関係、筋肉をどう捉えどう診るか、感覚から捉えた筋肉の臨床的考察を述べる。
【 筋肉に対する考え方 】
一度は経験したかと思うが、体力測定の懸垂は、最初は軽快に行えるが回数を重ねるに従い筋肉が強張りそのうちに筋肉が動かせなくなる。少し休息を与えてから動かすとまた元の動きを取り戻し、活発に動く。所謂、急性の筋肉疲労現象である。
“筋肉は休息を与えれば、回復する”
こうした現象が拡大解釈されて、“筋肉は何もしなくても元に戻る”“放置していても治る”という強烈な印象を植え付けられ、筋肉に対する気遣いの意識は遠ざけられたのではないかと考えている。
臨床的に筋肉の変化を捉える考え方は、怪我で損傷を受け腫れた関節周囲の診察治療中、筋肉に触れ浮腫とは別に損傷部の筋肉そのものが分厚く肥厚し骨から遊離している様に感じ、筋肉自体の感触も異なり雑音めいた響きの感覚があった。古武術からの伝法はこの感触を怪我による感触と説く。この感触が発端となり傷を治すには、この筋肉を元の張り付いて引き締まり雑音めいた響きのない状態に修復する事が大切ではないかと考え、この考え方が筋肉を筋肉固有の存在として捉え、次第に損傷を受けた筋肉に目を向ける様になる。古武術の伝法では、骨に張り付ける様に仕向けるとの教えがある。冒頭に東洋医学は必須の考え方と捉えていると記したが、東洋医学的考え方でも、筋肉の硬結という考え方はあるものの、その硬結の変化そのものに目が向けられてはいないのである。殆んど経絡と経穴に頼り、筋肉はその場所を特定する存在でしかない。
また、臨床的柔道整復学の捻挫にしても、関節の筋肉や靭帯が悪いと言うが、実際は漠然と関節周囲の痛むところが悪いと考え、内部の状態を把握できずに済ましている事が殆どである。
具体的にどこの筋肉、靭帯が、どうなっているのかはっきり指摘する事は余りない。
教科書の捻挫の治療法として、
“患部を安静にして、湿布、固定する。患部が少し落ち着いたら軽度のマッサージから開始する。”
私が学んだ事はこれだけである。筋肉の臨床論的なものは皆無である。具体的に何処がどうなっていて、何処をどうすれば治癒に導く事が出来るのか、どうなれば治癒なのか、全く触れてはいない。ただ盲目的に患部に対しマッサージ的手法を取り触っているだけの行為である。
これらの事から、臨床的柔道整復学、東洋医学共に筋肉を守備範囲として接するが、筋肉そのものに目を向けていないという事に気付かされたのである。
実際、筋肉の表情を追いかけると、筋損傷の傷や、傷を保護するため周囲を固める筋肉や、負荷の蓄積で硬く柔軟性をなくした筋肉は厳然として存在し、身体の運動機能に悪影響を及ぼしている。そして、これらの筋肉は、生理的な自力での修復、回復は起こり得ず不可能と考えている。根拠は、過去に筋損傷や筋肉負荷蓄積の経緯があれば、触診( 感察 )で筋肉の表情を捉え、おおよその経過年数を推測する事が出来る。筋肉を表情で捉え、経過年数の推測が成り立つという事は、結果的に、その部位に回復しない筋損傷や筋肉負荷蓄積が経年変化をしながら、そのまま残っていると考える事が順当かと思われる。
“適切な治療と修復回復治癒がなければ、筋肉に過去は存在するのである。”
筋肉の臨床的考え方は、専門書と思われる本にも書かれておらず、誰も答えてくれず、何処を探しても見つからず、参考になるものもなく、臨床的に筋肉がどうなるかについて論じたものが全くない。筋肉の捉え方の拠り所は、元々武術で会得した筋肉に対する考え方と感覚を基に、臨床で筋肉を捉える感覚を繰り返し修練し、実践感覚を鋭く養い筋肉の性状を一つ一つ積み重ね、普遍的な捉え方が確立し、多岐に亘る筋肉の表情を読み取る事が可能となり、最終的に筋肉の発する情報に導かれて臨床評価を構築して来たと考えている。
【 筋肉の臨床的評価 】
〔 凝結 〕
筋肉に負荷をかけ収縮を繰り返すと疲労して硬くなる。疲れた筋肉は休める事で元のしなやかな筋肉に回復するが、これを繰り返す事で疲労の回復後も、筋肉の中には硬さが微妙に残る。この硬さをいう。
〔 堆積負荷凝結 〕
負荷を受けた筋肉は凝結因子が微妙に残り、経年的な長時間の蓄積で柔軟な筋肉は、徐々に凝結し少しずつ硬さを増しながら身体各部位、全身に広がってゆく。
[ 感察 ]
身体表面上から、触診にて皮下内部の変化を探査し、軟部組織の傷病疾患の状態、筋損傷の度合い、筋凝結の性状などを察知推類する事とする。
持続的微弱性筋緊張負荷(毎日同じ動作や同じ姿勢を保つ事で、強張りが来る)による筋肉の凝結度や経年変化、疲労性凝結の累積経年変化(長期間、同じ姿勢で毎日仕事をする)、筋損傷の程度から経年変化による段階的陳旧度など、筋肉の表情を指先で察知し、身体各部位への影響度も判別(筋損傷部と筋凝結部が相互に影響し、また、筋損傷の傷が受傷部以外に、波及的に及ぼす影響もある)。
[ 感療 ]
感察と治療を同時進行で行う。
[ 筋損傷 ]
怪我の類は通常部位を特定しその周囲との兼ね合いを診ながら診療を進めるが、患部の損傷を克明に観察しなければ損傷評価判定( 医師は、診断という。)は出来ない。捻挫の場合、関節の何処がどうなっているか、骨と関節周囲に張り付いている筋肉や靭帯その周囲の結合組織などの状態を感察し見極めなければならない。感察で関節の損傷ヵ所をはっきり特定できる。損傷ヵ所は筋肉や靭帯などが遊離し、通常の触感とはかけ離れた水分を多量に含み、ブカブカ、グツグツした感触で、健常部とは明らかに異なる状況である。程度により遊離の度合いや、浮腫、腫脹、局所感が異なる。時には関節包の損傷も視野に入れ、施術方針や治癒見込みを立てる。
[ 傷を保護するため周囲を固める筋肉 ]
人間の身体を守る自己防衛本能は、常に現状から生きる営みに都合の良い身体環境を整えようと仕組まれている様である。動かないものは徐々に動く様に、痛いものは痛くない様に働いてゆく。損傷した筋肉もまた同様に、運動機能に対応が困難で、熱感、腫脹、疼痛、運動機能障害、という形をとり損傷部位を守ろうとする。健常な周囲の筋肉は損傷部位の傷を疼痛や運動機能などからこれ以上の破損を防ぐ様に保護し始める。その動きが時間の経過と共に緊張とは異なる硬さの凝結となり、一見怪我が治癒したかの如き状態を作る。しかし、関節過負荷時、怪我を再現するかの様な症状が出て来る。これは鎮静化していた傷の存在と、損傷部位が修復されず平静を保っていた事に他ならない。傷は修復されない限り、患部の不安定感は拭い去れない。勿論、治癒とはならない。
また、筋損傷を受け、筋の修復をせず放置すると、傷周囲の筋肉が傷を保護し取り巻く様に、傷を固める動きが出る。その筋肉が次第に硬く厚く周囲を固める。時間の経過と共に、自覚症状も落ち着き、修復されない傷の周囲が固められ安定方向に向う。時間の経過は、傷の回復を齎す事はなく、経年的変化をたどり、傷自体は破損したまま次第に潤いを失い、硬い筋状のコリコリした感触に移行してゆく。傷の感触から、おおよそ経過年数を特定できる。
[ 負荷の蓄積で硬く柔軟性をなくした筋肉 ( 堆積負荷凝結 ) ]
人間は四足構造の骨格を持つ動物である。後足で立ち上がり、前足( 手 )でいろいろなものを生み出し、多彩な活動を手に入れた。その結果、身体を長軸で支える作業が必要となり、頸肩部、背部、腰部の筋肉が主体となり、上半身を結果的に吊り上げる作業を強いられる状況が作られた。筋肉は表面何事もないかの如く、活動の自覚はないが、筋肉自体は、水面下で強烈な力が働いている。常に拮抗を保持し、身体全体の機能バランスを保つという事は、想像を遥かに超える活動状態である。人間は一歳で立ち上がり、基本的には死ぬまでこの作業が延々と続くのである。その間、主として背側部の筋は働き尽くめである。その結果筋肉には活動負荷が蓄積し、身体の柔軟性を徐々になくし特に関節周囲への影響が大きいが、筋凝結として硬さを増し徐々に筋肉を堆積負荷凝結へと導き、そして無自覚の内に身体全体が強張り感のない、関節可動領域の少ない身体に硬化して行くのである。日常的に活動負荷が蓄積する所以は、此処にある。
堆積負荷凝結の程度が進行するに従い、硬さが過負荷に反応し重苦しさや自発痛を引き起こす。堆積負荷硬結上に過負荷が相乗し引き起こす症状である。堆積負荷凝結は怪我を誘発する大きな原因となる事もある。
【 診療内容の捉え方 】
堆積負荷凝結を我々はどう取り組むかであるが、徒手診療術の、按摩術、マッサージ術、指圧術、鍼術、灸術と柔道整復術の定義的差異ははっきりしているが、実際の診療の中では、オーバーラップする考え方があり、線引きが難しいのが実情である。堆積負荷凝結に対するこの診かた、行為を慰安的範疇として受け止めるならば、診療に際して筋肉の臨床的考え方、疾患内容を正しく把握、理解していないのではないかと考える。しかし、慰安的行為を軽んずるつもりはない。
我々の業務は、柔道整復業として損傷部位の修復、本復が本来の業務と考えるが、先にも述べた通り、運動機能全般を受け持つ筋肉は、長期間の機能維持に当たり負荷の積み重ねから、機能バランスの狂い、身体の偏重、不調を来たしている事が多く、損傷疾患の前に腰痛に代表される様に、はっきり原因の掴めない苦痛を強いられている。日常負荷の累積が堆積負荷凝結となり、さらに日常負荷、過負荷が追い討ちを掛け、疼痛や重苦しい鈍痛、運動機能制限で可動領域が狭められている。これも我々柔道整復師が、本来業務に密接に関係する診療領域としてしっかり受け持つ必要があろうかと考えている。
通常、成人の怪我を診察する場合は、堆積負荷凝結の存在とその影響を受けている事は、何時も考慮して置かなければならないと考えている。新鮮損傷部位の傷の修復といえども、少なからず堆積負荷凝結は関与する。この堆積負荷凝結が、身体の動作環境を緩慢に仕向け、怪我を誘発する元となる事も経験からはっきりした事実と捉えている。関節主体の傷病疾患が主とは言うものの、身体の何処でも筋損傷は起きる可能性がある。身体を元通りに回復させるには、これまで一緒に活動していた周囲に潜む堆積負荷凝結の筋群が個々の筋肉作用ではなく、経作用として大きく関与する事は紛れもない事実であり、損傷修復に平行してこの凝結を解いて行く事も、損傷回復には避けて通れない重要な事象である。身体全体からすると、むしろ堆積負荷凝結を解く事の方が、影響力が大きい事もある。決してあなどる事は出来ない大切な事と考えている。人間の身体は、全体で一個である。
この様な観点から、慰安目的ではない損傷修復の一貫として捉えてゆく事が大切であり、筋肉診療を柔道整復師の独立業務とする考え方を貫き通すならば、堆積負荷凝結を元のしなやかな筋肉に復活させる事をも、柔道整復師の業務としてしっかり取り組む必要があろう。国民の望む、身体的苦痛を取り除く業務を行う事にためらってはならない。自ら業務範囲を狭める事は愚かな考え方といえる。
ひとつの例として
腰部筋損傷( 俗にいうぎっくり腰 )
腰部の筋、棘筋、最長筋、腰腸肋筋、例えば、腰腸肋筋の外側寄り筋表層から一センチほどの深さで、第三腰椎の位置、にその時受傷したと思われる新鮮な傷を確認する。受傷の幅が7~8ミリ程度で、長さが70ミリ、深さが6ミリ程と思われる。損傷の程度は、傷の感触から破壊度が強く修復には相当の時間を要する。但し、疼痛、機能回復、所謂自覚症状がなくなり原状復帰は、4~5日程度かと思われる。通常はこのレベルで治療は中止される。しかし、傷の修復自体は時間を要し傷はまだ残る。
本来は、傷の感触が消える事で治癒とする。損傷部位の傷を完全に修復するには30日から40日程度を要する。
腰部の筋群が瞬時の動きに対して瞬間収縮反応を起こし、その瞬間負荷に対応が間に合わず、また力に対抗できず自損を起こし、筋繊維が破損し筋肉内に傷を負う。破損した筋肉自体が瞬間負荷に対応しきれないという事は、硬くなった筋肉は機敏な動きに対応出来ず、身体全体の柔軟性もなくなり、瞬間収縮の力に負け筋繊維が破損すると考えている。
腰部の筋損傷は、筋肉の環境が堆積負荷凝結、つまり負荷の蓄積した筋肉に発生する事が殆どで、日常生活、労働環境、筋肉の性質などの要素が拘わり、様々な発症をする。また、過去に筋損傷の経験があれば、過去の傷の再発や古傷から影響されての新たな損傷として傷の範囲を拡大していく。
解剖学的に診ると腰部の棘筋、最長筋、腸肋筋( 腰腸肋筋 )の脊柱起立筋、時に多裂筋、仙骨部の最長筋( 仙棘筋腱膜 )、多裂筋当りが損傷を引き起こし、長回旋筋や、短回旋筋、横突間筋、棘間筋、各筋周囲の結合組織、靭帯などが、堆積負荷凝結として腰部を固めて行く事になろうかと思われる。勿論、棘筋、最長筋、腸肋筋( 胸腸肋筋、腰腸肋筋 )の脊柱起立筋なども、累積負荷が高じて来ると堆積負荷凝結へと変化して行く事になる。
【 結果 】
縷々述べて来たが、
1.臨床的に筋肉を捉える考え方は現在の医療分野にはないと考えている。
2.筋肉の客観的な臨床評価が望ましいが、現状では、科学が追随していないため、捉え
る事が難しい。
3.徒手施術を得意とする我々柔道整復師が、筋損傷分野を確固たるものにする。
4.筋肉の診療をも我々柔道整復師が通常業務として取り組み、凌駕しなければならな
い。
【 結論 】
われわれの診療領域である、骨折、脱臼、捻挫、打撲、特に、骨折、脱臼については、不確かではあるが、昭和40年代頃までは、事実上、柔道整復師的療法に対してまだ緩やかであったかと思われるが、非観血整復領域では今の整形外科的療法とは一味違う手法で、社会復帰を考えると先輩諸師は、遥かに優れた技術を持っていたと考えている。今は、技術的には兎も角、科学的診療の説得力と診療制限が厳しく、なかなか力量が発揮出来ず特技が消滅しかねないもどかしさがある。如何ともし難い状況と言える。
今後、我々の存在は、望まれる医療、治す医療に取り組み、国民、県民の保健維持向上のため負託を受けた柔道整復業の中で、軟部損傷治癒を目指し、怪我に類する筋肉系の損傷も含めた、捻挫、打撲の分野で、実力を遺憾なく発揮する。そのため、筋肉に代表される軟部組織の臨床的動態をしっかり掴み、そこから発する身体情報を的確に把握し、その身体情報に即した治療技術を施し、国民、県民からより信頼され、期待に応える医療集団とならねばならない。
【 おわりに 】
治療対象の筋肉の存在は、西洋医学の解剖学的捉え方をせざるを得ないが、基本的には東洋医学的な考え方、診かた、術式を取る。傷病発生時は、筋肉の一部に異変を起こす事が多く、固有筋全体が負荷凝結や筋損傷を起すとは限らない。時には幾つもの固有筋にまたがり異変を起こす事もある。臨床的に個々の筋肉作用ではなく、経作用として機能すると考え、解剖学的な筋存在の捉え方だけでは少し危険で、傷病治療を見失いかねない。また、経絡的考え方だけでも走行が異なる事もあり、必ず感察で探査すべきかと考える。参考文献の解剖学の書籍を見て改めて感じた次第である。
【 参考文献 】
臨床柔道整復実技と理論 著者 池添誠祐 池添整復術研修グループ出版部
図解 鍼灸実用経穴学 著者 本間祥白 医道の日本社
経絡と経穴人形( 針灸経穴奇穴人体模型 ) 上海嘉定江橋幸福模型廠製造
針灸学 編 上海中医学院 人民衛生出版社
グラント解剖学図譜 第3版 原書第8版 訳 森田 茂・楠 豊和 医学書院
ネッター解剖学アトラス 原書第3版 訳 相磯 貞和 南江堂
人体系統解剖学 著者 吉川 文雄 南山堂