【徳島県】くろーばーはりきゅう整骨院 2014.03.12
【女性の一生をサポートする】徳島県鳴門市のくろーばーはりきゅう整骨院
生理痛・生理不順
骨盤矯正・姿勢矯正
↓
不妊治療
↓
妊娠(つわり・悪阻)
↓
出産
↓
産後の骨盤調整
産後の肥立ち
↓
子供さんの夜泣き・食欲不振
乳腺炎
↓
更年期障害
などなど。
女性の一生をサポートしていきます。
【神奈川県】整体院さくら堂2014.03.10
荷物を持ってギックリ腰に
荷物を持って後ろ向きに歩いて
ぎっくり腰になった60代の女性患者様です。
配達された荷物を旦那さんが持っていた所
重すぎて助けを求められて
急きょ一緒に持つことになり
そのまま後ろ向きで身体をねじりながら
運んでいた所、腰に違和感が走った
とのことです。
どんな姿勢をしても右の腰が痛いと
ご来院されました。
かなり細身の背の小さな方ですので
重い荷物を運ぶのは大変だったでしょう。
特に身体をねじりながらだったため
十分な筋力が発揮できない状態で
起こってしまったと思います。
検査をさせていただくと
どの動作でもすべて右の腰に痛みが走ります。
背骨を調整すると、痛みはあるが
どの動作も痛みが緩和したとのこと。
その後に骨盤、仙骨を調整して
動かしていただくと痛み消失。
「痛くない」とのお言葉をいただきました。
この方の場合は非常に軽かったので
痛みがなくなったと思います。
ぎっくり腰のような急性痛の場合
身体が危険を感じて
身を守るために炎症部位周辺を
ロック(筋肉や関節を固める)しますが
それを改善しても炎症はすぐには収まらないため
痛みは残ります。
ぎっくり腰がクセにならないためにも
続けていらっしゃることが大事です。
普段無意識にしている悪い姿勢や動きが
少しづつ積りつもって
ぎっくり腰などの急性痛になりますので
日常生活での姿勢などを改める事が
予防になります。
急性痛を経験するたびにその部位が
弱くなるので
皆さま気をつけましょう!!
【】2014.03.10
同行二人のお話 - 起承転結 -
『 起 』
私は今も、この道を歩いている。その昔、弘法大師・空海大僧正は、「神仏が私を必要としているなら、この高山より飛び降りても命を落とす事は無い。」と仰り、実際に飛び降りたとの事、その結果かすり傷のみで済み、命をおとすことはなかったという事です。この事をもって、彼は大きな転換期を迎える事となり、西暦八三五年に六一歳で入滅されるまで、様々な功績を後世の人々に残され私達が生きて往くうえに欠くべからざる方のお一人と成られたのであります。
『承』
その空海大僧正は、「一人のみの力では、成し得ない、不可能と思われる事でも二人の力を寄せ合えば成し遂げる事ができる。」とお考えに成られ、『同行二人』と仰られた。この言葉をお遍路さんは、傘に書き記してかぶり、四国八十八か所の長き道のりを巡礼し、それぞれの迷い・苦しみ・難儀・不自由からの脱却・極楽な状況への好転を願い、歩き、行じているとの事であります。
『転』
私は今、道を歩いている。ただただ広いばかりの、この道をあの方もたぶん仕事帰りに何度となく、この道を歩いただろう。広い広い道を作るためだけのこの土地、広い耕作地・農地をなくし作ったこの道・広い広い道が交わるこの交差点・この交差点の横断歩道を何度となく渡った事だろう。あの方はもう、この道を歩むことはない。あの方はもう、この横断歩道を渡る事は、出来ない。
『結』
ガンという病・身上は、なんと人の身体を蝕むものか。ガンという病・身上はなんと人の心を蝕むものか。「心ひとつ我が理」とは、神仏・親よりの教えであります。心の健康を保つためには、身体の健康が一番大切であります。歩きながら、ふと空を見上げると雲と雲との間にあの方の笑顔だけが見えた。「先生 ゴメンナサイ。ガンをガンを甘く見ていたようです。」そう言っているように見えた。難儀の中の難儀・不自由の中の不自由「同行二人」私は今また、この道をこの横断歩道を歩いている。
【】2014.03.10
十二日まちのお話 - 起承転結 -
『 起 』
ある日、実家の母から電話があった。私の記憶が正しければ、昭和五十四年の春の事である。「うちの隣の家が売りに出たよ、買わない?」と言うのである。その言葉に横浜市金沢区の本社から、東京営業所に転勤したばかりという事もあり、また気分一新、売価も聞かず、妻にも相談せず、 「親のうちの隣に住む。いいねー、理想的だなあ。」そう考え二つ返事で購入を決断,浦和というこの街に再び移り住む事となった。
『承』
大宮に生まれ、浦和にも住んでいた私は、「大宮の十日まち」「浦和の十二日まち」の話は聞いていたが、浦和駅西口まで一時間程度、掛かる場所であったため、行く事はなかった。平成元年に移転し、平成二年にダツサラ、現在の気功整体という仕事を始めた訳である。平成五年に幸運にもある方のご紹介により浦和駅西口よりわずか徒歩十分程の、仕事も出来て、住めるという、一石二鳥の家に転居する事が出来た。これにより、私達と「十二日まち」との新たな関係が始まる事になり、毎年のように「年末は十二日まち」という事になった。 <br>
『転』
歳月は流れ、娘も結婚、孫も両親と一緒に浦和に来るようになった。年末近くなると私からとも、妻からともなく、「もうじき十二日まちだね。」孫に会えるという楽しさから、この時期の合言葉のようになった。娘は三人の男の子を授かり、末の子も来年は小学校に入学する。早いものである。
『結』
さて今年は? メールで妻から 「今日十二日まちだったんだね。 浦和駅に着いたら人がたくさん居たから、びっくりした。」さいたま赤十字病院の帰りである。済まないと思った。今年はいろいろな事があった。毎日・毎日忙しく、申し訳ないと思った。なぜか急にナミダが流れ出して止まらなくなった。「十二日まち」来年は、みんなで楽しく行く事が出来ればいい。心も身体も健康な状態でね。
【】2014.03.10
初恋の味 一本のお話 - 起承転結 -
『 起 』
最近は、ほとんど聞かなくなったが、企業の戦略だったのか、かつては「初恋の味」と呼ばれていた飲み物があった。「カルピ」何とかという名だったと思う。「恋」というものが、どうゆう物か知らなかった私は、それを飲んで「ふーん、そう。」と心の中で静かに思いそして、「恋」というものは、こうゆう味がするものかと疑いもなく、味わっていた。
『 承 』
時は過ぎ、いつしか娘がそれを口にするようになった。ある時母が、冷蔵庫を開けて中を見て、そのビンがないのを発見。「もう一本飲んじゃったの?」と言った。それを聞いた娘は、あの甘酸っぱい飲み物は、「一本」という名だと覚えた。
それ以来娘は「一本ちょうだい」と言うようになった。
『 転 』
子供が物事を覚えるスピードは、かなりのものである。しばらく会っていないとその顔の表情には、格段の違いを見る。
『 結 』
「一本」の娘も、とうに結婚し、男の子を生んだ。
今もある、あの「初恋の味」をこの孫は何と呼び、何と思ってのむのだろうか。